笠松のオテンバ娘と、笠松が生んだ名ジョッキーの物語
あなたは、ライデンリーダーという馬をご存知だろうか?
まだ若かりし私に、強烈なインパクトを与えた1頭。
赤いメンコがトレードマークの、笠松のオテンバ娘。
1995年。
それまで笠松で10戦10勝という驚異的な成績を引っさげ、前走は古馬をも蹴散らすオテンバっぷり。
そんなライデンリーダーは、初のJRA、初の芝レースである、当時の4歳牝馬特別(今のフィリーズレビュー)に挑戦する事となります。
騎手は当時笠松の押しも押されぬトップジョッキーだった、アンカツこと安藤勝己騎手。
この年に起きた阪神大震災のため、京都競馬場で行われたこのレース。
ライデンリーダーは圧巻のパフォーマンスを見せるのです。
10戦10勝、2着馬につけた着差は計40馬身以上という触れ込みが効いたのか、2番人気に押されたライデンリーダー。
しかしゲートが開くと、初の芝に戸惑っているのか行きっぷりが良くありません。
アンカツ騎手は終始追っ付け通し。
でもライデンリーダーは進んでいかず、4コーナーでは先頭から大きく離れた後方で、もがいておりました。
「やっぱり10戦10勝とはいっても所詮は笠松の馬だな」
「道中あれだけ行きっぷり悪いし芝では限界があるな」
誰しもが、そう思ったでしょうし、実際レースを見ていた私もそう思いました。
しかししかし、4コーナー回ってアンカツ騎手外に出してゴーサインを出すと、オテンバ娘の本領発揮です。
あれよあれよという間に1番人気のエイユーギャルらを並ぶ間もなく置き去りにし、かるーく3馬身半ほど離した所がゴール!
お馴染み杉本さん。
「おーっとキタキタキタキタ、外からライデンリーダー来たぞ来たぞライデンリーダー先頭に立つ勢いだ!」
「抜けたー!ライデン!これは強い、恐れ入ったー!ナントナントライデンリーダー1着!…………なんとまあ強い…………」
さすがの百戦錬磨の杉本さんも、ライデンリーダーの圧巻の走りにしばし絶句し、その強さに適当な言葉が浮かばなかったと言っておりました。
それ位衝撃的だった笠松のオテンバ娘のJRAデビュー戦だったのです。
ただその後、ライデンリーダーはG1を勝つ事はありませんでした。
圧倒的1番人気を背負った桜花賞では、他馬の徹底マークに遭い、脚を余した形の4着。
オークスではまさかの積極策で場内を湧かすも、距離の壁があったのか13着と大敗。
秋はローズSで3着となり、当時3歳限定のG1だったエリザベス女王杯に挑むも、良いところ無く13着と大敗。
その後、笠松に戻ってもかつての剛脚を見る事はありませんでした。
本当に、あの1戦で、持てるありったけの力を使い果たしてしまった感じのライデンリーダー。
でも牝馬らしく、あの一瞬の閃光は今でも私の脳裏に焼きついております。
ライデンリーダーでG1を勝つ事ができず、ライデン以上に悔しい思いをしたのが、安藤勝己騎手でした。
笠松で敵なしだったスーパージョッキーが、中央でライデンともども撃沈にさらされてしまったのだから。
「これは中央で、G1を勝つまでは騎手を辞められない。」
そう心に誓った安藤勝己騎手は、一度消えかけていた騎手としての情熱を再び取り戻し、猛勉強を重ね、一度試験に落ちてしまうという憂き目にも遭いますが、二度目で見事に合格、JRAの騎手となります。
その後の活躍は今さら言うまでもなく、ライデンで勝てなかったG1レースをいくつも勝利し、笠松のトップジョッキーから、日本のトップジョッキーとして活躍しました。
本人も、あのライデンリーダーでの敗戦が、JRA騎手を志すきっかけになったと追懐。
いわば安藤勝己騎手の、騎手キャリアにおいてのターニングポイントになった馬が、ライデンリーダーという事になるのでしょう。
私にとっても、ライデンリーダーはいまだに記憶に鮮明に残っている特別な馬。
ライデンリーダーの衝撃からもう25年近く経ちますが、あの馬以上の剛脚は、私はまだ見た事がありません。
記録よりも記憶に残る名馬、笠松のオテンバ娘ライデンリーダーの物語でした。
投稿者プロフィール

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データを駆使した戦略競馬の賢才
人と違う視点や切り口で競馬を分析することに長けている頭脳派。データ分析ソフト『TARGET』を使いこなして、周りがアッと驚く馬券術を生み出す。そのレベルは折り紙付きだ。
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